7.23長崎大水害

2004年7月22日
今日は7月22日です。
明日が7月23日です。
そりゃ当然です。一日間違えた訳ではなく22年前の明日のことを書きます。
あの日、僕はいつもの如く20分バスに乗り、家とは逆の方向にあるレコード屋に行きました。
やけにナマアタタカイ空気が漂っていたのを覚えています。

レコード屋が入っていた「西友 長崎道ノ尾店」に入ると、窓の外は夏の夕方とは思えないくらいの暗さになっていました。
あまりの暗さに少し怖くなった僕はまたバスに乗って自宅のほうに帰ろうとバス停のほうに向かいました。が、ものすごい雨粒で外にいることが出来なくなりました。
どのくらいの雨粒だったかと言うと窓に当たった雨粒の直径が20センチ以上あったのです。
また店の中に戻った僕はどうしようもなくなって...またレコード屋に行きました。(お気楽な奴...)

しかし外ではものすごいことになっていました。
2時間で200ミリというものすごい雨が降っていたんです。
その店は偶然にも丘の上にあったので気がつきませんでしたが、港近くや丘の下のほうでは洪水が起きはじめていました。

当然バスがやってくるわけも無く、家に電話をしても通じる訳が無く...
夜は更けていく訳で...

しかしありがたい事に、店の入り口で帰れなくて困っていた僕を含め何十人かの客は、その店の近所に住んでいた身も知らない同じお客さんの家に何人かずつ分かれて泊めてもらうことになったのです。

僕が泊めてもらったのは、その店の近所にある塾の先生の家でした。

その先生は「YMO」のファンだったらしく、たくさんのレコードがありました。
僕はそんな大変な夜だと言うのに、一晩中「YMO」のレコードを聴かせて貰いました。(まぁいろんなドタバタで眠れ無かったって言うのもあるんですが...)
その日を境に「YMO」にはまって行くのですが...それはまた別のお話...

その夜、長崎はえらい事になりました。
長崎県内では死者299人、長崎市内だけでも216人を数えました。これは、一つの都市としては、1959(昭和34)年の伊勢湾台風時の名古屋市の約1900人に次ぐ惨事だったそうです。

さらに山の斜面に染み込んだ雨の為に至る所で崖崩れが起きていました。
僕の家へ帰る道路も崖崩れで不通になってしまいました。

まぁなんとかして家には帰ったのですが、ただ自分がいた場所から半径10キロ圏内でそんなにたくさんの人が亡くなったと言うのが、あの頃は凄いショックでした。

同じ学校の先生や生徒、そして近所の人も何人か亡くなりました。
天災だから仕方がないといえば仕方が無いんです。
でも、人が亡くなると言うことは凄く悲しいことなんです。
簡単に他人を傷つける人が多くなったこの時代ですが、人間の命の重さがドンドン無くなっていっていると言うこの時代ですが、人が死ねって事は凄く寂しい事なんです。
同じ人間同士、無駄に殺しあったり傷つけあったりするのはヤメマショウヨ!
悲しいことですよ。

なんだかまとまらない文章になってしまって申し訳無いです。

ただ7月23日は長崎でそんなことがあった日だと言うことを伝えたかったんです。

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